ザック・ジャパン

ザック・ジャパン

交渉が難航していた代表監督選びでしたが、日本のマスコミには意外なほど「歓迎ムード」で報じられたザッケローニ氏。

ビッグクラブでの実績はあるものの、初めての代表監督としての手腕は未知数です。

ましてや、自国イタリア以外、おまけにアジアの果てでの仕事。

自国のマスコミ報道では、辛らつなコメントも目立っておりました。

ギャラやステータスでは、ヨーロッパ・ビッグクラブに軍配が上がるものの、「やりがい」では国代表の方が、本来の監督の妙味が味わえるのかも知れませんね。

目先の勝利が求められる強豪クラブと、少なくとも一定期間の「育てる」猶予がもらえる代表との違いも大きいでしょう。

オフトやジーコのように、既に日本サッカーを熟知していた監督は、純粋な「客観視」が出来なくなっていたのではないでしょうか?

「本田圭佑を今年初めて知った」と言うザックさん。

なんか“トボケタ”親父みたいで、なかなか好感が持てました。

ある意味“世界”を知る「名将」が、移籍補強のない限られた戦力(未知の戦力も含め)で臨む“チャレンジ”に大いに期待するところです。

ちなみに以下は、私の歴代代表監督“評”です。

ハンス・オフト 1992~93

個性の強い幼稚園児に、初めて“英語”を教えた辛抱強い保育士。

パウロ・ロベルト・ファルカン 1994

指導者として“教える”という才能に恵まれなかった。チーム内で一番上手なキッカーが監督自身であったという“悲劇のプレイヤー”。

加茂周 1994~97

マスコミ対応が下手なだけで、“バッシング”されるようなことはしていない善人。協会が最後までフォロー出来なかった“被害者”の一人。

岡田武史 1997~98

後ろ盾がないと何も出来ない“協会の優等生”。ただし、強運の持ち主。

フィリップ・トルシエ 1998~2002

一見、理解不能な“お調子者”。実は、独特の理論を持った指導者だった可能性が大。チームに浸透しなかったのは、ダバディの主観が入った通訳が原因とも。

ジーコ 2002~06

ジーコが目指すサッカーは、ブラジル人にしか出来ないという“ジレンマ”。南米サッカーと日本サッカーが、全く別物であるということを“証明”したにしては時間がかかり過ぎた。

イビチャ・オシム 2006~07

年齢と体力に泣いた“悲運の哲学者”。例外もあったが、代表選考に“賢さ”を導入した“現実主義者”でもある。

岡田武史 2007~10

個人の“強運”は証明されたが、監督としての手腕は別。唯一、選手の自主性を目覚めさせた点においては評価できるが、偶然の産物に他ならない。

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