責任

責任

バンクーバー五輪が静かに開催されました。

いきなりハーフパイプの国母選手の服装問題でひと揉めありましたが、そりゃ本人の自覚と責任はありますよ。
確かに。

ただ、やはり周りの大人(JOC)の指導というか、管理というか、そちらではないでしょうか?

服装のルールがあるのであれば、時前に徹底させればイイわけで、相応しいかどうかの基準があるのかどうかも疑問です。

じゃ、あのドレッドヘアは?鼻ピは?となってしまいます。

極端な話し、スキンヘッドに顔面タトゥーでも、シャツ入れてジャケットのボタン留めてればOKなのか?と言いたくなってしまいます。

大臣が「反省している態度ではなかった」などと答弁すること事態、違和感があります。

私も世間的には「大人」の世代ですが、彼の出で立ちは全く気になりませんでした。

むしろ、あの着こなしにサングラス姿は国母らしくて、平常心で挑もうとするオリンピックへの意気込みさえ感じます。

朝青龍にしても、彼を協会の意に沿わない横綱に育ててしまった周りの「大人」の責任たど思います。

ま、今何をしなければならないかが分からない「大人」が、国会と呼ばれるサークルに数多くいる国なわけですからね。

彼らを選んだ私たち「大人の責任」も自覚しなければなりません。

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